京都に咲く一輪の薔薇(ミュリエル・バルベリ)2

 大昔の日本、伊勢のあたり、大海に面した入江のほとりに薬師の女が住んでおりました。薬草をよく知るこの女は、誰かが苦しみをやわらげてほしいとやってくれば、気前よく薬を分け与えました。しかし、神が与えた宿命でしょうか、どうしようもないものだったのでしょうか、当の女薬師は、常に恐ろしいばかりの痛みに苦しめられていました。ある日、女の調合した撫子のお茶で病気が治った貴人が彼女に問いました。「なぜ、おまえはその能力を自分が楽になるために使わないのか」女は答えました。「そうしたら私のこの力はなくなり、次の患者を治すことができなくなります」「自分が痛みに苦しむことなく生きられるなら、他人の苦しみなどどうでもいいではないか」と貴人はさらに問いました。女は笑い、庭に出ると、血のように赤い撫子の花を腕いっぱいに摘み取りました。そしてその花束を貴人に差し出して言ったのです。
「そうなったら、私はこうして花を誰かに差し出すこともできなくなってしまうでしょう」

4 thoughts on “京都に咲く一輪の薔薇(ミュリエル・バルベリ)2

  1. shinichi Post author

    京都に咲く一輪の薔薇
    by ミュリエル・バルベリ
    translated by 永田千奈

    第二章

    思春期は陰鬱なままに過ぎた。他人の青春はきらきらと素敵に見えた。だが、自分のこととなると、思い出そうとしても、掌から水がこぼれ落ちるようにとらえどころがない。友人はいたが、親友というほど踏み込んだ関係にはならず、恋人たちは影のように目の前を横切って行っただけ。ぼんやりとした影と向き合うばかりで、日々は過ぎていった。

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  2. shinichi Post author

    仏人ベストセラー作家、京都を新作の舞台に選んだ理由 「時空や空間を超えている場所」

    by 山本 明

    https://maidonanews.jp/article/14775313

     全世界で200万部を超える売り上げを記録した『優雅なハリネズミ』で知られるフランス人ベストセラー作家ミュリエル・バルベリさんが、先日京都で開かれた新作のトーク&サイン会に出席するため来日しました。新刊タイトルは『京都に咲く一輪の薔薇』。一度も会ったことのない日本人の父が他界、天涯孤独となったフランス人のヒロイン、ローズが初めて訪れた京都の地で思いがけぬ愛と再生を体験する物語だといいます。著者が新作に込めた思いをお聞きしました。

     著者のミュリエル・バルベリ(53歳)さんは1969年、モロッコのカサブランカで生まれました。高等師範学校で哲学の教員資格を取得、教員養成短期大学などで教鞭を執った後、2000年に『至福の味』で小説家デビューし同年フランス最優秀料理小説賞を受賞しています。2006年には第2作となる『優雅なハリネズミ』を発表、こちらは全世界で200万部を超えるミリオンセラーとなり映画化もされました。第5作となる本書『京都に咲く一輪の薔薇』は2020年に刊行されています。

     今月初旬、早川書房(東京・千代田区)より発売された本書のヒロイン、ローズは数年前に母と祖母も亡くした孤独なフランス人女性。ある日突然、公証人から生前一度も会ったことなかった日本人の父が他界したという報せを受けて彼女が京都を訪れるところから物語は始まります。美術商だった父のアシスタントで遺言執行人であるベルギー人のポールと共にローズは京都の地をめぐることになります。

     孤独の中で死んだように生きてきたヒロインの心が、亡父の愛した古都の風景の中でゆっくりと変化していく様子は固く閉じた薔薇(ローズ)のつぼみが豊かに花開いていくのを見るかのようです。物語に登場する「銀閣寺」や「南禅寺」、「竜安寺(龍安寺)」といった寺や日本庭園の美しい浮世ばなれした雰囲気も印象的で、「京都」という土地そのものが物語の中のもう一人の主人公ともいうべき重要な役割を果たしています。

     自身も約2年間京都で暮らした経験があるというバルベリさんに、創作のインスピレーションをどこから得たのか語っていただきました。

    「京都の地が大好き。わたしの心の中にはいつも京都の面影があります」

    ――なぜ「京都」を物語の舞台に選んだのですか。

    2008―9年の間、京都で暮らしていました。お寺や日本庭園は、非常に人工的でありながら自然との一体感を感じさせ、閉じているからこその永遠を見る気がします。大事な友人が何人もいますし、この地が大好き。わたしの心の中にはいつも京都の面影があります。

    京都を舞台に物語を書きたい、と暮らしている時から思っていました。が、その時はまだ自分が作家としてじゅうぶんに成熟していなかったのだと思います。「ローズ」というヒロインがわたしの中で生まれたとき、彼女が初めて京都の地を訪れるオープニングがひらめきました。10年前にこの地を初めて踏んだ自身を彼女に重ねることができる、そこで生まれる物語を書くことができると確信しました。

    ――各章のはじめに置かれている、一頁ほどの逸話が印象的です。「自らの痛みと引き換えに人を癒やす薬師の女」「キツネと話す少女」「朝から晩まで水平線をただ眺める仙人」など、いずれも魅力的な物語ですがローズの物語とは直接関係がありません。が、本筋の物語の行方を読者に予想、期待させる面白い仕掛けだと思いました。

    ありがとうございます。自分自身では「第八章」の前に置いた「偉大な山水画家に椿の画をねだる孫娘」のエピソードが気に入っています。あの短いエピソード群はそれぞれ、各章の中でローズが直面しなければならない困難を暗示しています。孤独に苦しんでいるローズが、そこから抜け出すには立ち向かわなければならない課題があることを、そしてその解決を示唆する暗喩(メタファー)の役割をあの小さな逸話たちは担っているのです。

    ――物語の中、特に前半で、ローズはいつも怒っていますね。

    彼女はとても不幸なんです。フランス人の母親は鬱病で自殺し、可愛がってくれた祖母も亡くなった。もうこれ以上傷つきたくない、という思いからどんな男性とも永続的な関係を持つことができない。愛を遠ざけて生きてきたんですね。不幸なのに、不幸でなくなるのが怖い、変化を怖がっているんです。自分が愛し愛される存在なのだ、ということが信じられない。

    でも亡くなった日本人の父親の相続の手続きのために、今までとは全く異なる環境に身を置くことになる。そこで初めて彼女の中に変化が起きるわけです。彼女は父の仕事のアシスタントであったシングルファーザーのポールに出会い、彼に自分の感情をぶつけるようになります。

    ――他者に心を開くと。

    氷漬けの花のようだった彼女が、自ら怒りの熱で周囲に張りめぐらされたガラスのような氷を溶かし、変容していくようなイメージでしょうか。わたしはこの物語でとても大きな怒りを抱えた人も、その怒りを消していける、変わっていくことができるということが書きたかった。それはなぜかというとやはり、愛なのですね。ローズとお父さんの愛、ローズとポールの間に生まれる新しい愛、人を愛することでローズは再生していくのです。

    「京都は山にぐるりと囲まれているからこそ、時空や空間を超えている場所だと感じる」

     最後に「この物語をどのように日本の読者に楽しんで欲しいですか」とたずねると、以下のような答えが返ってきました。「読むというのはとても自由な行為、各自が好きに読んでもらえたらと思います。物語の舞台に設定した京都は世界で一番好きな街。こんなにも特別な感情を抱かせる場所は他にはありません。山にぐるりと囲まれているからこそ時空や空間を超えている場所だと感じます。わたしの京都への愛が日本の読者に伝わってほしいと願っています」(バルベリさん)。

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  3. shinichi Post author

    フランスの芸術家は 京都で何を学び、創るのかーー現代のジャポニスムのかたち

    On Villa Kujoyama

    アーティストに一定期間、制作の拠点を提供し、作品づくりをサポートする「アーティスト・イン・レジデンス」制度。京都「ヴィラ九条山」は、長年、フランスの芸術家を対象にこのプログラムを実施してきた。彼らは京都で何を発見し、創作しているのかーー3組のクリエイターを取材した

    by KANAE HASEGAWA

    https://www.tjapan.jp/art/17331167

     京都・山科区、天照大御神をまつる日向大神宮の参道の山腹に、コンクリート建築の「ヴィラ九条山」がある。フランスの芸術家や文化人が日本との知的な対話を深めるための場として、1992年、フランス政府の文化機関「アンスティチュート・フランセ」がつくった滞在型制作施設(アーティスト・イン・レジデンス)だ。

     レジデンス・プログラムに参加できるのは、ソロ作家の場合、フランス国籍保持者あるいは、フランスに五年以上滞在している者。希望者は、京都における自身のプロジェクト計画を提出し、それが採択されれば3カ月から半年の間、施設内のスタジオを使って制作や研究を行うことができる。こうしたレジデンス施設はいまでこそ世界各地にあるが、ヴィラ九条山を特徴づけているのは、日本の大学や文化施設、クリエイターとのネットワークだ。竹細工や漆工芸、絹織物などの作り手たちと協業しながら、創作を行なっている作家もいるという。

     レジデントのひとり、ダニエル・ペシオは調香師で、シャネル、ディオール、セルジュ・ルタンスのためのフレグランスを手がけた経験をもつ。彼は、この滞在プログラムを利用し、京都の酒造メーカーの月桂冠の協力を得て、“飲む香り”づくりに取り組んでいる。

    「そもそも、日本で香りに関するプロジェクトを行おうと思ったのは、香道の影響から。2017年、初めて日本を訪れた際、香道に触れたのですが、僕にはまったく理解ができなかったのです。パチュリやサンダルウッドなど香水と同じ原料を使っているのに、熱を加えたお香になると香りの成分が凝縮され、煙でむせかえりそうになる。受け入れることができませんでした」とペシオ。しかし、この理解できない気持ちが彼の好奇心をそそった。香道の流派のひとつ志野流の家元の扉をたたき、1日3回、5週間にわたって香道を実践したのである。

    「そこで学んだのが、香りを聞くという行為でした。その香り自体は嫌いだとしても、その香りがどんな組み合わせで生まれているのかを分析できるようになると、香りに対する見方は変わる。すると、たとえ嫌いな香りでも受け入れることはできるようになるんです」

    画像: ダニエル・ペシオが手がける“飲む香り”の材料

    ダニエル・ペシオが手がける“飲む香り”の材料

     また、ペシオは、今回の滞在で気づいたことがあると話す。「日本人は香りを嗅ぎ分けようとする好奇心と繊細な感覚を持っている一方で、生活の香りをふさいでしまう傾向がある気がしました。たとえば、スーパーで売っている日本製の洗剤や柔軟剤はほとんどが強い香りで、ものに備わっている臭いを消して、すべて均質な香りにしてしまいます。それに鼻が慣れてしまっているのではないでしょうか? 京都の畳屋さんに話を聞いたのですが、かつて畳は天然のイグサで作られていたので、暮らしていた人の生活臭やペットの臭いが染み付いていたものだそう。今はそうした生活臭を好まない風潮なのか、臭いの付きにくい化学繊維の畳へのニーズが圧倒的に多いと聞きました」

    画像: “飲む香り”の制作風景

    “飲む香り”の制作風景

     彼が、“飲む香り”プロジェクトに取り組む背景には、そういった現代人に、もういちど、日本人が古来、培ってきた香りの楽しみ方を体験してほしい、という思いもあるそうだ。ちなみに、この“飲む香り”とは、アルコールの代わりに、日本酒で香りを作るというもので、伽羅(きゃら)、沈香(じんこう)、サンダルウッド、ヒノキなど、通常は飲料には用いない材料を日本酒に浸漬。飲みやすくするためキャッサバから抽出した旨味成分、コンブ、茶葉、バニラもブレンドしているのだという。

    「分量にしてはわずかなものです。これを一気に飲み込みます。舌で味わうのではなく、飲み込んですぐに息を吸うことで香りが鼻腔を通り、脳に伝わります。その瞬間、香りに目覚めます。香りに気づくために飲むのです」

     別のレジデントである、リュズ・モレノとアナイス・シルベストロは、食材を素材にした表現活動をするクリエイターだ。スペインとフランス出身の2人は、日本でオリーブオイルが作られていることを人づてに知り、興味をもった。

    「世界有数のオリーブオイル生産国であるスペインとフランス出身の私たちから見ると、なぜ日本の小豆島でオリーブオイルを作っているのか不思議でなりませんでした。日本でオリーブオイルが生まれた背景を知りたくて、ヴィラ九条山での滞在リサーチに応募しました」。

    2人は小豆島のオリーブ農家を訪ね、その歴史を学んだ。発見したのは、ヨーロッパのオリーブオイルづくりとずいぶん異なるオリーブオイル文化があるということ。「ヨーロッパにおいてオリーブオイルは工業的に生産されています。一方でオリーブの実を一粒一粒、手摘みで収穫する日本のオリーブオイルは、嗜好品に近い」とモレノは分析する。

    画像: 作家のリュズ・モレノとアナイス・シルベストロ。小豆島のオリーブ農家の人たちとともに

    作家のリュズ・モレノとアナイス・シルベストロ。小豆島のオリーブ農家の人たちとともに

     小豆島でのリサーチの後、京都で何度か茶事に参加する中で、2人は茶道とオリーブオイルづくりに関連性を感じたという。モレノは次のように説明する。「オリーブの実を手で大切に摘む農家の人の一連の作業を観察していると、振り付けのようで、そこには茶道の所作に通じる作法のようなものが存在する気がしました。一杯のお茶を味わってもらうためにすべての環境をしつらえる茶道のように、生産者が手塩にかけたオリーブオイルを味わってもらうための場を作ってみようと思いました」

     そして、彼女たちは、茶道ならぬ“オリーブ道”を考案し、パフォーマンス形式でプレゼンテーションを行なった。客人を迎える座卓はオリーブの木片で作り、オイルを振る舞うための器には釉薬にオリーブの木の灰を施した。そしてオリーブオイルで作った蝋燭と香で空間を満たす。樹皮の繊維と灰からは、ノートブックや紙を制作した。「茶事から着想を得ていますが、五感を使ってオリーブオイルを楽しむための私たちなりの作法を生み出したつもりです」

    画像: モレノらによるプレゼンテーションの様子。オリーブの木や葉、オイルを使った調度品で、客人をもてなす

    モレノらによるプレゼンテーションの様子。オリーブの木や葉、オイルを使った調度品で、客人をもてなす

     プログラムの参加者たちは、ヴィラ九条山での滞在中に成果を出すことを求められてはいない。日本を離れ、自国に戻ってアイデアが実を結ぶこともある。2018年にヴィラ九条山に滞在したフィンランド系フランス人デザイナーのヨハン・ブルネルは、滋賀県の木桶職人の中川周士との出会いを通して、日本でも薄れつつある桶の文化を知る。そして露天風呂という風呂の入り方に魅了された。「温泉文化は海外でも知られていますが、雄大な景色を取り込んで、屋外で借景を楽しむ露天風呂の発想はすばらしい」とブルネルは絶賛する。

    画像: 木桶職人、中川 周士が率いる「中川木工芸」の温泉セット

    木桶職人、中川 周士が率いる「中川木工芸」の温泉セット

    画像: ヨハン・ブルネルによる露天風呂「VYU」。湯桶などは「中川木工芸」が制作を担当するという PHOTOGRAPHS: COURTESY OF THE ARTIST

    ヨハン・ブルネルによる露天風呂「VYU」。湯桶などは「中川木工芸」が制作を担当するという
    PHOTOGRAPHS: COURTESY OF THE ARTIST

     この露天風呂文化を海外の都会にも広めたいという一心から、フランスに戻った今、ブルネルは建築家ニコラ・オメとともに、ビルの屋上にも設置できる木桶を大きくしたような露天風呂「VYU」の設計を進めているところだ。
    「VYUは、眺めを意味する英語VIEWと湯のローマ字表記YUを掛け合わせた造語です。体を木桶のお湯で清めてから湯船に入るという美しい日本の作法はそのまま取り入れますが、お風呂の置かれる場所はパリの美術館や百貨店の屋上。大勢で木桶の風呂に入ってパリの空を眺めるという、パリでしかできない日本文化の体験を創出したい」と夢を膨らませている。

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  4. shinichi Post author

    ヴィラ九条山

    https://www.villakujoyama.jp/ja/

    関西地方にフランスの文化会館を設立するという考えは1926年に生まれました。この年、ポール・クローデルは駐日フランス大使としての任期最後の年を迎えていました。クローデルは当時の大阪商工会議所会頭・稲畑勝太郎を中心に親仏家の日本人グループを集めることに成功し、これら日本人が日仏学館の建設に必要な資金を集めることになりました。この計画は、日本の真っただ中において、その伝統文化の宝庫をフランスの芸術テーマに結びつけるというポール・クローデルの考えに基づくものでした。日本人によって建設されたこの新しい学館は財団法人日仏文化協会の監督下に置かれ、その運営にはフランス政府が当たることになりました。

    関西日仏学館の落成式は1927年11月5日に、今ではヴィラ九条山が建つ場所において挙行されました。1936年には、学館は当時発展途上にあった京都大学の近くに移転されました。そして、50年近くに渡って東山の建物は放置されたままとなりました。

    1986年のこと、フランス外務省は学館跡地におけるプロジェクトの推進を決定しました。外務省が提案したのは、京都という芸術と歴史の町の性格を踏まえ、ローマのヴィラ・メディチに倣って、アーティストや研究者のレジデンス受入れ施設を建設することでした。

    このようにして、財団法人日仏文化協会は、1986年11月11日に、ポール・クローデルの当初の発案に基づき、稲畑勝太郎の孫息子の資金提供を得て、「日仏交流・創作会館」を建設することを決めました。この会館が現在のヴィラ九条山となり、1992年11月5日にその落成式が執り行われました。

    **

    1992年に設立され、アンスティチュ・フランセ日本がそのパリ本部と連携して運営に当たるヴィラ九条山は、フランスの国外文化施設としてはもっとも名高いもののひとつで、ローマのヴィラ・メディチやマドリードのカーサ・デ・ヴェラスケスと肩を並べています。また、アジアでは唯一のフランスのアーティスト・イン・レジデンス施設となっています。

    建築家・加藤邦男の設計で歴史豊かな日本の古都・京都は東山の丘の上に建てられたヴィラ九条山は、30年以上前から卓越したプログラムを展開してきました。設立以来、ヴィラ九条山は400名以上のレジデントを受け入れてきましたが、彼らは現代芸術創作や人文社会科学研究など幅広い領域に渡り、16の分野をカバーしています。

    2011年のこと、レジデントの対外評価の向上により重点を置くことを目指し、ヴィラ九条山のレジデンス・プログラムに新たな息吹を与えるための検討が開始されました。今ではヴィラ九条山は芸術・文化の領域における日仏協力の直接の架け橋となり、芸術創作活動のあらゆる分野が集う場、芸術分野における新たなパートナーシップを発展させる場となるものと見込まれています。
    ピエール・ベルジェ氏の支援のおかげで実現された建物の改修のあと、ヴィラ九条山は9月から新規レジデントを迎え入れました。

    今回のリニューアルにより、ヴィラ九条山では、2つの新しいプログラムを打ち出します。
    1つは、フランス人アーティストと日本人アーティストの共同プロジェクトの受け皿となる新プログラム「ヴィラ九条山デュオ」を開始します。2つ目は、ヴィラ九条山に今までなかった「工芸部門」の枠を設け、フランスの優れた工芸家と日本の伝統工芸との対話を促し、培っていきます。
    この新機軸は、いずれもベタンクール・シューラー財団の厚意による3年間の特別支援のおかげで導入されるものです。
    こうしたプロジェクトを達成するため、ヴィラ九条山の新しいプログラムは、芸術面、資金面及び文化面における独自のパートナーシップのシナジー(協働関係)を拠り所とし、研究活動を受け入れ、共同制作を推進し、プロジェクトや作品の普及を図ることになります。

    再オープンにあたり、ヴィラ九条山が主体となって実施する独自のプロジェクトは、企画開発と運営体制の強化を図ることになります。日本の大学との連携や文化施設、アート機関との協力の強化、現代アートと伝統芸術の間の対話の拡大、さらに、資金提供者やプログラムに参画する民間企業との良好な関係の構築を目指しています。

    ヴィラ九条山では、プログラムをさらに充実させるため、滞在期間だけでなく、今後、レジデンス開始前のリサーチ活動の準備期間とレジデンス終了後のプロジェクトの継続支援の新たなサポートを行っていきます。この継続的なサポート体制によってヴィラが培ってきた芸術文化と日仏交流の20年の歴史がアートシーンにどのような影響を及ぼし、どのような成果をもたらしたのかを発表し、広く紹介していくことができます。

    今回のレジデント募集の工芸分野への門戸開放と日仏2人1組のレジデンス形式の導入はヴィラ九条山の新しいプログラムの要です。
    また、レジデンス支援のための具体的方法として、レジデンス期間中(終了後含む)に制作されたレジデントの作品は、「ヴィラ九条山」のラベルを付与され、日本、フランスはもとより海外の展覧会、フェスティバル、出版、音楽イベントなどを通して発表されることになります。

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